「推し」という文化の限界 タレント抑圧システム

このブログは、毎日10人くらいの方が見に来てくれますw 理想1日100人なのですが。そういうわけで、私が 入れ込んでいる星守紗凪ちゃんのことをここに書いても、バズって彼女が大人気になることはない。そして、それもよいことなのです。なぜなら、私は星守紗凪ちゃんを推さないからです。

いつの頃からか、芸能人とファンの関係で「推し」という言葉が使われるようになりましたよね。AKBが最初なのだろうか?「推しメン」といわれて、イケメンとかGメン75(年齢が分かる)を連想してしまった私。この「推し」文化てえのが、わたしゃ好きじゃないんですわ。

なぜ、「推し」文化が嫌いなのか? 同調圧力の産物だと思うからです。何でも「シェアします!」とかいっちゃう痛い現代人のマイナス面を、応援される側が食らってしまうんです。

「ここは私が払います」「いやいや私が!」みたいに、オバサンたちが飲食代を誰が払うか譲り合って?るの、見たことあるかと思います。あれと似た雰囲気を感じる。なんつーかな、ある種主体性がないんだよね。自分が好きなアイドルなのに、「推し」とかいって他人に譲るような態度。アイドルを本気で好きであればあるほど、「推し」といったときにそのエネルギーが、自分の軸からどこかに漏れてく感じがします。

↑ 最近のサナつぁん。いつものと別人。

アイドル側の影響としては、やはり同調圧力がかかります。「推し」は、AKBのように集団でいる中の誰を私は好きなのか?ってことですが、メンバーは「推し」を獲得するために抑圧されるケースがあると思います。それは、ファンとの間とアイドル側の集団の中、両方から受けることになります。

  • ファンの最大公約数みたいな態度を取るしかなくなる
  • やたら礼儀や感謝を表現する癖が付く
  • アイドル集団の中で、変な突出をしにくい心理になる

「推し」文化は、こういったプレッシャーをメンバーに与えるのです。まあ、私が紗凪ちゃんを好きなメインの理由である、「奇才」を発揮しにくい環境になるのです。むしろ半端な個性の持ち主のほうが、突出しやすいです。

紗凪ちゃんは、遠慮しいな性格だと私は見ている(笑)自分の聖誕祭や、いまは止めちゃってるけどニコ生のような、遠慮の必要のない場所での彼女は、クソ面白いです。まだまだ、そのクソ面白い奇才を抑え込まれているように思う。

悪いのは・・・「推し」文化を生んだ絆っぽい社会と、紗凪ちゃんの実力を引き出しきれない事務所ですw

なので、私は「推し」はやらない。自分でこの星守紗凪という奇才を見つけたまえ。

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星守さん、任天堂Switchのアドベンチャーゲームで主題歌を歌ってます。べーしっ君の人がキャラでザをしていたりと、ファミコン世代をあの頃に誘います。

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