基本のん(ああ、本当に能年玲奈と呼びたいわ)ファンでもあるので、片隅を見ていると普段PCに張り付き仕事をして緊張した神経が緩んできました。これもVR作品としての素晴らしさであるよなあ・・・そんな風に思います。
ですが、社会全体で戦闘要素が消毒されすぎていることも私のストレスであり、それを考えると、「とっとと戦闘機の一機も飛んでこないのかね?まさか爆弾のひとつも爆発させずに最後まで行くんじゃ?」という疑念も沸きつつの鑑賞でした。・・・だけど、こういう気持ちこそ争いを呼ぶということは事実・・・。いや、ちょうどいい規模のものは来て欲しいのが私の本音だけど、でかいのは困るわけですw
原作は知らないんだけど、戦時中の呉にしては牧歌的すぎる描写。 まあ、作者もお婆さんじゃないから書きたい作風で書いたんだろうし、戦争を描いてる映画といえない!という批判は甘んじて受けるべきと思いますが、そこには可能性も感じられるのですよ。
課題やリスクに対するスタンス
- この問題はこれこれこうである、それはそれぞれ以下各要素に分解できる、しかるに取るべき対策は順に・・・
- 戦争反対!人名は地球より重い!戦争を止めるまで徹底抗戦だ!(あれ?)
こういったスタンスとは違うスタンス、つまりのらりくらりというのがあるのではないか?という人類の未来を拓く革命的な映画だったというのはどうだろう。
これって日本得意じゃん?
- 自衛隊は軍隊なの? → ん~そうじゃないんじゃないかなあ~
- 中東まで自衛隊を送ってよ!→ 多めにお金をを出すからさ~とりあえずこれで勘弁しといてよ~そのうち軍隊も考えるからさ~
こういう態度w これって、ずーっと日本がやってきたことやないですか。
まあ、ラオウの豪の拳に対するトキの柔の拳みたいなものですね。見ろ、二人の間合いを・・・。変わらない・・・ラオウが踏み込めばトキはそれだけ引いてかわす・・・。
まあ、定期的に空襲が来るようになってすらどこかのんびりしてた登場人物たちですが、最後にはピカも光ったし、主人公すずもただではすまなかったわけです。それでも、真正面から物事と対峙していてピリピリしても負傷者は出るだろうし、普段の生活が楽しそうな分すずのほうがいいよねw
次回、冒頭で書いた誰もが戦闘要素を忌避しすぎていることについて、「片隅」と「君の名は。」という二つの映画から題材を取って書きます。