感覚入力を貧しくしてはいけない

どこかで、youtubeで音楽を聴いて満足している小学生女子にカルチャーショックを受ける20代前半のブログを見た。90年代生まれなら、まだCDの原体験があるのですね。

 

その小学生と20代のやり取りに、

20代 「youtubeじゃ音質悪いじゃん?」

JS「私は音楽が聞きたいんであって音質はどうでもいい」

というのがあるのだけど。

 

今のオッサンオバサンは、時代遅れになること(若者的でなくなること)に恐怖しているので、JSの意見を時代の流れとして、単純に迎合したり仕方なしとしたりするのよね。youtubeでは音だけでなく画質もよくはない。画像の製作の仕方とディスプレイの性能によりいい画質の映像も見られるけれど、youtube耽溺層というのは画質にも無頓着な人が多そう。特にJSみたいな若いケースね。

 

感覚器官への入力が劣化することを肯定する、こういうのを進歩といったケースは、かつて何かあったかな。人によって重要視する感覚器官は違う。グルメな人は舌、音楽愛好家は耳、女好きは以下略、どこかしかの感覚入力を豊かにしようとするのが人間だと思うのだけれど。

感覚刺激豊かな物理オブジェ+看板
感覚刺激豊かな物理オブジェ+看板

ソーシャルな物書き連中はきっという。人々は、感覚入力から人々の繋がりへと重視するものを変えたのだと。だけど、かつての感覚入力趣味人は人との関係を無視や軽視していたのだろうか?オタクであっても、オタクとしての人間関係はあったはずじゃないか。

 

つまり、現状は感覚入力に対する感度の低下が起きているだけともいえる。これも、デジタルによるチープ化の結果。だから、旧感覚入力趣味人は、若い人にその素晴らしさを語るのを止めてはいけないんですよ。

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