ドラゴンボールのヤムチャ弱い扱いの検証

連載時に読んだきりだったドラゴンボールを単行本で読みたいなとずっと思っていたんだが、最近やっと読み始めたよ。しかもちゃんと本屋でコミックスを買って。かさばっていいね!重さもいいし場所を取るのも愛しいね!

シリーズごとにどのキャラがどの程度強いのかをつぶさに見て行った。特にヤムチャ。

現在、マジュニアとしてピッコロ2世が参加してきた天下一武道会のところまで読んだのだけれど、少年漫画ってのはこんなにあからさまな主人公優遇をするるのか!と驚くレベル。毎回シリーズボスと悟空だけが、他のキャラを異次元に突き放して強い。・・・少年ってのは、そんな悟空に単純に自己投影してたりしたのかね。記憶によると、サイヤ人編までは悟空だけ突出しているけれど、フリーザ編になるとベジータやピッコロにも見せ場が与えられていたような気がする。

もうひとつ気になっていたのが、へたれキャラ扱いのヤムチャの実際の強さ。人間、特にネット民は印象だけで語るので、往々にして実はもっと強かったということもありえるんじゃと思って読んだのだけれど・・・。3回の天下一武道会のうち2回で1回戦の相手(武天老師扮するジャッキー・チュンと神扮するシェン)にまったく手も足も出ていない。2回目の武道会では、「天津飯に他の連中とは次元の違う敵がいるんだな」と思わせる程度には善戦したのだが、これでは弱い。

しかし・・・毎回相手が悪いとは言える。武天老師と天津飯と神だからね。ギランとか男狼とかと当たってたら、勝ってたろうし。でもそれでも、クリリンとの扱いに明確な差があると言わざるを得ないのが、3回目の天下一武道会なんだよね。神扮するシェンを2回戦で圧倒するマジュニアとクリリンは戦って、「ほう」と思わせる程度の善戦をしているんだ。ヤムチャはシェンに手も足も出なかったというのに。

主人公属性ってのはどのマンガでもあって特殊能力を持っていたりするもんだけど、DBは今のところあからさまだなあ。セル編になると、息子の方が強いってんで途中で戦い降りて悟飯に戦わせてたりと、面白い展開もあったと思うんだけれどな。

結論はブルマさん素敵ということで。

ITは気だるい

今の若い人は、youtubeでお気に入りの音楽を聴く人が多いと思う。時代に関係なく、自分のフィーリングに合う曲を選んで聴くのだろう。若い人を誉めないと、加齢の恐怖から逃げられない大人は、これをいいことだというかもしれないが・・・どうだろう、本当にいいことだろうか。

 

本来生命体には時間の感覚が備わっているが、その意識が希薄になったときにどうなるか。

 

森博嗣の小説「スカイ・クロラ」の飛行機乗りであるキルドレ達は、成長しない思春期の子供のままの設定だ。戦闘に出て撃墜されるなどしなければ、寿命もない。この小説を読んでいると、キルドレ達がいつも、けだるさとか所在無さといった感覚を抱えていることに、息が詰まるような気持ちになってくる。整備士は普通に成長する人間で、キルドレは彼らに羨望を抱いていたりする。

時間の感覚が希薄だと、キルドレのように所在無さや浮遊感、けだるさにさいなまれそうに思う。自分はニート時代を思い返して、やはり時間の感覚の希薄さから来るけだるさというものがあったと思う。「人類は宇宙を第二の故郷として、子を生み育て、そして死んでいった」的な、自分の時代・時間という感覚。これをyoutubeで音楽を聴く行為は希薄化してしまったかもしれない。逆にyoutubeによって新しく立ち上がる時間感覚はあるかというと・・・?自分は知らない。

 

飛躍するようだけれど、今の日本は迷走しているのでゴールが見えず時代が分からず、キルドレ的けだるさを皆が抱えている。ITはその一因か、強化要因に思えて仕方がない。

 

面白いゲームはやってらんない:島国大和のド畜生
http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-2624.html

 

このブログでいわれている、ボタン連打しかしたくないというダルさ。キルドレは、いつもタバコを吸っている。街の人間は、ソシャゲでボタンを連打し、パチンコを打っている。

感覚入力を貧しくしてはいけない

どこかで、youtubeで音楽を聴いて満足している小学生女子にカルチャーショックを受ける20代前半のブログを見た。90年代生まれなら、まだCDの原体験があるのですね。

 

その小学生と20代のやり取りに、

20代 「youtubeじゃ音質悪いじゃん?」

JS「私は音楽が聞きたいんであって音質はどうでもいい」

というのがあるのだけど。

 

今のオッサンオバサンは、時代遅れになること(若者的でなくなること)に恐怖しているので、JSの意見を時代の流れとして、単純に迎合したり仕方なしとしたりするのよね。youtubeでは音だけでなく画質もよくはない。画像の製作の仕方とディスプレイの性能によりいい画質の映像も見られるけれど、youtube耽溺層というのは画質にも無頓着な人が多そう。特にJSみたいな若いケースね。

 

感覚器官への入力が劣化することを肯定する、こういうのを進歩といったケースは、かつて何かあったかな。人によって重要視する感覚器官は違う。グルメな人は舌、音楽愛好家は耳、女好きは以下略、どこかしかの感覚入力を豊かにしようとするのが人間だと思うのだけれど。

感覚刺激豊かな物理オブジェ+看板
感覚刺激豊かな物理オブジェ+看板

ソーシャルな物書き連中はきっという。人々は、感覚入力から人々の繋がりへと重視するものを変えたのだと。だけど、かつての感覚入力趣味人は人との関係を無視や軽視していたのだろうか?オタクであっても、オタクとしての人間関係はあったはずじゃないか。

 

つまり、現状は感覚入力に対する感度の低下が起きているだけともいえる。これも、デジタルによるチープ化の結果。だから、旧感覚入力趣味人は、若い人にその素晴らしさを語るのを止めてはいけないんですよ。